「 なぜ人は傷つけあうの
しあわせに小石を投げて 」
今日わたしは
たいせつな人と傷つけあっている
という現状を
真に受け入れることができました。
頭で理解していたつもりで
でも、パートナーとうまく行かないことを
あがいていました。
さっき日記を開いて
これを受け入れる
これを受け入れると
いま起きていること
あがいていて変えたいことを
ひとつひとつ綴り、受け入れていきました。
終わるとまるで嵐が過ぎ去った後のごとく
身体が軽くなって
心に澄んだ空が広がったようでした。
これから彼とどうして行くのか
わたしはどうありたいのかがクリアになり
凍っていた愛情が湧いてきました。
嵐があったなんてカケラも感じさせない
青空を見ているように
さっきまでの悩みが
まるで嘘のように晴れました。
話は飛びますが
いま日本で起きていることを
本気で変えようと思ったら
まずはいったん現状を受け入れること。
あがいて戦うのではなく
受け入れることが最速の変化の道で
受け入れないと進めないということを
もういちど確認したような出来事でした。
なぜそう思うのかというと
世界はフラクタル。
小さな世界で起きてることは
大きな世界で起きていることにつながっているのでしょう。
また目の前のことが変えられないのであれば
大きな世界を変えることもできないのでしょう。
たいせつなものを失いつつある、いま。
ナウシカの話に出てくる眠る樹海(モリ)のように
汚染された場所が出来つつある現実。
そして小さな世界
自分をとりまくローカルな世界では
目の前にいる大切な相手(もしくは自分自身)と
もめてしまったり傷つけあったりしている人も
多いのではないかと思います。
目を背けるのではなく
戦うのでもなく
受けて入れて変化を起こす。
「 愛しあう人は誰でも
飛び方を知ってるものよ 」
これが草の根活動の
ひとつのヒントになるのでは?
そう感じています。
金色の花びら散らして
振り向けば まばゆい草原
雲間から光が射せば
身体(カラダ)ごと宙に浮かぶの
やさしさは見えない翼ね
遠くからあなたが呼んでる
愛しあう人は誰でも
飛び方を知ってるものよ
風の谷のナウシカ 髪を軽くなびかせ
風の谷のナウシカ 眠る樹海(モリ)を飛び越え
青空から舞い降りたら
やさしくつかまえて
花や木や小鳥の言葉を
あなたにも教えてあげたい
何故(ナゼ)人は傷つけあうの
しあわせに小石を投げて
風の谷のナウシカ 白い霧が晴れたら
風の谷のナウシカ 手と手固く握って
大地けって 翔び立つのよ
はるかな地平線
風の谷のナウシカ 眠る樹海(モリ)を飛び越え
青空から舞い降りたら
やさしく抱きしめて
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