今日のミーティングの途中でスーちゃんが
「いろんな人を魂のレベルで見れるといいんだけどね」
と話してくれました。
年齢、職業、外見などにまどわされず
本質を見てつながりたいという意味です。
「そうだよねえ」
とわたしは答えたのですけど
すぐ別のメッセージが浮かんできました。
魂のレベルで見ることのできる自分になるのではない。
その波長、そのことができる部分は誰でもある。
誰にでもあるけれどその部分が表に出ているか出ていないかの違いがある。
たとえば目の前で溺れている人がいる。
あなたはすぐに飛び込んで助けたいだろう。
目の前で車に轢かれそうな人がいる。
あなたは手を引っ張って歩道に戻したいだろう。
アイツはイヤなやつだとか、年収が低いとか、自分にとって得になるかどうかなんてことを、とっさに考えることはない。
とっさのときには頭ではなく、あなたはその部分にいる。
こーんな感じのインスピレーションメッセージでした。
へえ!と思ってすぐに
「肩の上の小さい人がこう言っているよ」
とスーちゃんに伝えたところ、感動してくれました。
「肩の上の小さい人」と半分ジョークで
スーちゃんにはいつも話しているのですが
ふいにこうしたメッセージが届きます。
思いつくというより
やってくるという感じ。
情報量が多いのに一瞬で理解するし
自分が自分で感心する内容です。
まるでデータ通信したみたい。
こう書くとすっごくアヤシイ感じですが
わたしにはとっては毎度のことですし
もともと誰にでもできることだと思っています。
すでにそうしている人も多いよね。
ティンカーベルみたいな肩の上の小さい人
ってことにしてわたしは楽しんでいますが
魂やソース(源)といってもいいし
直感とか閃きとかそんな表現でもいい。
わたしは宇宙の叡智と呼ぶのも好き。
ネーミングのレッテル貼りはどうでもいいんです。
どうせそこの部分、意識の海のような場所では
みんなつながっているのですから。
写真は本日iPhoneで撮影したお花。
こうした美しさに魅入られているときも
その部分、人を表面で判断しない部分の波動に
チューニングしているときでしょう。
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