行って来ました。エハンと行く奈良&京都ツアー。
写真はご神体登山前のまだ余裕のあるエハンとみなさん。
いや~暑い中ひたすら登ってゆくのはきつかった~。。。
わたしサポートナビゲーターじゃなかったら
途中で「や~めた」って言い出しかねないくらい大変でした。
しかし、エハン、元気。還暦とは思えない。
ちょっと悔しいのでカラダ鍛えなおそうと決意しましたよ。
でもね、わたしこういうギリギリな感じ。
けっこう好き。
景色を見る余裕もなく、ひたすら足元を見て登っていたら
エハンと行ったツアー、マユピチュへのインカトレイルを
いつの間にか思い出していました。
約半月かけてゆくペルーの旅の中でもいちばん辛い期間。
それは薄い空気の中、お風呂にも入れず、テントでよく眠れず
でもただひたすら歩き通す4日間。
聖地巡礼の旅です。
3日目だったでしょうか。
限界の上のさらに限界を何度も超え
朦朧とした頭で「あとどれくらいで着くんだろう」しか考えられず
足元の土くれだけを見て歩いていたそのとき。
ふと顔を上げたわたしの目に飛び込んできた
尖がったアンデス山脈の勇姿。
頂上から煙のように真っ白な雲が
こちらに勢いよく流れています。
目に入った瞬間わたしは
「うわ~ん」と声を上げ嗚咽していました。
なにかがはじけ
涙があふれてあふれて止まりませんでした。
それは世にも恐ろしい(そう見えるだけだけど)
自分自身の奥の
底なしのようにぽっかり空いた闇の
すぐ隣にある歓喜。
いまのわたしはそこに触れることが好きです。
飲み込まれてしまいそうなぽっかりの闇を深々と覗き
ギリギリの状態を超えてエクスタシーに身をゆだねたいのです。
でも当時はわけもわからずただ震えるばかりでした。
だから聖地へ行くってわたしにとって
なにかを付け加えにゆくものではないんです。
なにかを落とす旅。
そのためのもの。
こちら登山後のわたし。
すっきりした顔しているでしょ。
そして久々のエハン節は健在でした。
トークももちろん素晴らしいのですが
奈良と京都という地においてエハンという存在そのものが
語っているメッセージをみんな受け取ってもらえたのではないかしら?
人生そのものが「それぞれの旅」ですものね。
コメント
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