このところ、言葉を正しく使うということに意識が向いています。
言葉は潜在意識に対する指示だからです。
今日、駅のホームで友人の言葉を思い出していました。
「人混みに耐えられない」
聞いたときになんだか違和感がありました。
辛そうな表情も気にかかりましたが、言葉そのものの持つ力に圧倒されました。
そう言ってしまうと、自分は無力な立場になります。
人混みという影響を受ける被害者です。
そして一番悲しいことは「他の人たちVS自分」というへだたりを、いつの間にか作ってしまうことです。
以前のわたしも「人混みは嫌いよ」と公言してはばかりませんでした。
でも幸いなことにあるとき気がついたのです。
人混みの中にいるとき、わたしも人混みの構成要因だと。
向こうから歩いてくるあの人にとっては「わたしも人混み」
そう、あの人も、この人も、わたしとすれ違っている人はみんそう感じているはずです。
その時から街中を歩いても、あまり疲れなくなりました。
そして今日、駅のホームで「こう言ったらどうか?」と思い浮かんだのです。
「人混みに耐える自分ではない」
この表現はもっと無力に感じますか?
それとも自分軸であることで力を取り戻すでしょうか?
人混みに対してどういう反応をするのかは、本当は自分で選べます。
絶対的事実ではないのです。
もしわたしの家族や友人が歌手で、そのコンサート会場に向かう道が
大勢のファンで埋め尽くされていたとしたら
わたしは人垣を掻き分け、大いに喜びながら歩くでしょう。
人混みが悪いわけではない。
人混みの中にいて、それを耐えようとするのは自分のあり方ではない。
外の世界を批判的に表現するか、内なる世界として好きなあり方を表現するか
この違いは大きいのでは?と今日感じたのです。
みなさんはどう思いますか?
神代植物公園にて↑ 秋色がいっぱいでした
言葉のもつ力は大きいですよね。
頭の中であっても、頭の外であっても意識しないとついポロリと元気のない言葉がでてしまいがちになったりする今日この頃。
私も意識して言葉を使うようにします。
今日もすばらしいシェアをありがとうございます。
投稿情報: モナカ寅次郎 | 2009-11-01 10:43
こちらこそいつもありがとうございます。
そう!まさに!いま注目は頭の中の会話です。
これいい表現ですね。
ふむ・・
モナカ寅次郎さんの言葉はなぜかわたしの言いたかったことをわかりやすく的確に伝えてくれています。
投稿情報: るぴな | 2009-11-02 20:48