私がクマに切れた理由
原題「The Nanny Diaries」(こっちのがしっくり来ますね)
ガールズムービーかと思いきや
なかなかに骨太な内容なの。
成功の階段まっしぐらのはずの主人公アニーが
ひょんなことからナニーになり
引き止める友人の言うことも聞かず
超ゴージャスセレブの家に住み込みます。
お金持ち観察の手段としてナニーを選んだはずなのに
いつの間にかセレブ親子に振り回され、自分の声を失っていく
というストーリー。
「"観察者"になろうとしたのに
私は人生の"傍観者"になっていた」
アニーが最後のほうに言うせりふ。
これがとてもとても印象に残ってます。
昨日プライベート・セッションでこんなことがありました。
感情が感じられないというテーマで話が進み
「自分のこと、遠くから見ている感じ」
そう表現されました。
アニーが教えてくれた
「観察」と「傍観」が違うってこと
さっそくお話する機会となりました。
「観察」は出来事を注意深く観ている状態。
思考や感情をよく観るために、一歩離れます。
「傍観」は感覚・感情と自分を切り離し
自分の人生が人ごとのようにその場にいないんです。
傍観してしまうのは、これまでの人生経験で
「もう傷つくまい」と心を閉ざした結果。
でもその代償は大きいの。
まず、何が好きかわからくなっちゃう。
(かつての私もそうでした)
「ライフワークが見つからない」
「どちらがいいのか決められない」
「これでいいのか不安だ」
という悩みを持つ人は多いです。
それから
「感動しない」「感謝の心がわかない」
などということもよく聞きます。
感情・感覚はフタをするのではなく
ちゃんと感じて
その「感じ」を観察することなんだと
あらためて思いました。
Nanny Returns
http://www.emmaandnicola.com/
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