先週のこと。
開催した新月のトークライブにて
「生きる意味が見出せない」ということを
数名の人が話してくれました。
「いつもそうではないけれど、ときどきそうなってしまう」と。
わたしもかなり最近までそう感じていたから
その気持ち、よくわかます。
悲しい、空っぽな感じ。
★☆
今日ね、こんなことがあったんですよ。
目黒駅のコンコースで紙切れを持ち
右往左往するおばあちゃんとバッタリ。
いろんな人にその紙を見せているのですが
みんな通り過ぎて言ってしまいます。
大荷物そしてベビーカーにはきっとお孫さん。
「みんな不親切だなあ」と思いながら近づいてみると
その外人のおばあちゃんは「ヨカッタ」とばかりに
その紙を私にぐいぐい押し付けます。
「なになに、目黒から〇〇駅まで。ここで乗り換えて、もうひとつ乗り換えて」
こんな感じの経路が日本語で書いてありました。
「えっと、ですね。」
どこの国の人かわかりませんが、英語で道順を説明し始めると
返ってきた言葉は
?????
「へ?何語?」
どうやらここで事態に気づきました。
日本語はもちろん、英語もわからなくっちゃ話もできないじゃん!
「ははあ、だからみんな困って立ち去ったんだわ」
複雑な地下鉄の乗換えをボディーランゲージで
説明することもムリだろうなあ。。。ううむ。
ということで、ともかくもホームまで付き合うことにしました。
「こっちです」と手招きすると
ニコニコしたおばちゃんは何かをつぶやきながら
今度はスイカと1000円札をグイグイ押し付けてきました。
「は?チャージしてってこと?」
ま、そんなこんなで、なんとか無事にホームに下りれたのですが
そこで「ハタ!!」と気がつきました。
「この2つ先の駅で向かい側のホームに来る電車に乗り換えること」
そんなことをどう説明しろというのでしょう!!!??
ムリ、ですね?
きょろきょろして見たものの、駅員さんの姿も見えないようだし
駅員さんがいたところで結局おんなじことだと気がつき
ふたつ先の駅まで付き合うことにしました。
どうせ帰宅途中だし。
★☆
反対方向にゆられる私。
隣におばあちゃんとお人形のように可愛らしい女の子。
持っているおもちゃなどの様子から
二人は東欧の人じゃないかなあって思って見ていました。
そしてガタピシのベビーカーのタイヤがつっかかり
上手く電車から下ろせないというトラブルも乗り越えて
再び地下鉄のホームへ。
次の乗り換えは7つ先の駅です。
この際最後まで付き合うかな?とも思いましたが
横に立っていた女性にお願いしてみることに。
「あのう、すみませんが、〇〇駅まで行きますか?」
「行きますよ」
わ!よかった。
「乗換駅に着いたら教えてあげてください」とお願いして
おばちゃんに別れを告げました。日本語で。
そして「あの女性が教えてくれるから」とボディーランゲージで。
おばあちゃんはニコニコと握手して
手のひらにチュッとしてくれました。
★☆
帰宅する方向の電車に乗りこみ
まるで童話の世界から抜け出してきたような
おばあちゃんと女の子の姿を思い出してみると
心のなかがぽわあんと暖かくなってきました。
「親切」って、する方の側にステキなモノをもたらしてくれるのね。
そして思ったんです。
こんな小さなことでも
「今日という日に私が生きた価値があった」と。
ついつい
「もっとたくさんのことをしなきゃ」
「もっと価値のあることをしなきゃ」って
思ってしまう毎日だけど
「これで充分じゃない?」ってね。
★☆
生きる意味、生きる価値は
ことの大小じゃない。
影響力のあることをすることでもない。
植物が一日にちょっとづつしか伸びないように
「ほんの少しのことで充分だ」と
神さまが見ていたら、きっとそういうよね?
「あのくらいのことをしないと価値がない」
なんて決して言わないよね?
たくさんこと、すごいことをすることだけが
生きる意味、生きる価値じゃないって
そんな風にちょっと思ってみませんか?
ねっ?
おばあちゃん、無事についたかな?
今度はわたしから、みなさんへチュッ
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