« 2011年5 月 | メイン | 2011年7 月 »
思いやりとはときに
ほっておくことだったり・・・
ということをいま学んでいます。
だまって見ていること。
「必要ないならいいわ」と立ち去ることでもなく。
「ほんとに大丈夫?」と聞きただすことでもなく。
手を伸ばしたら届く範囲にはいるけれど
でもこちらからは、なにもしない。
それは難しいことです。
でもこの葛藤を通じて知ったことがあります。
あの人、この人
「冷たいな」と思っていた過去の思い出がみんな
愛だったとは。
愛されていたことを、いま
知ります。
ひとりの朝 風が吹く朝
心に雨のおちる朝
どこに居ても誰と居ても
何故こんなに君はひとり
そんな日には体残して
夢のなかへ旅に出かけよう
昔行ったあの森のみち
ゆれるこもれびみどりの風
ひとみとじてその両腕で
自分のこと抱きしめてみて
ずっとずっと抱きしめていて
自分のこと愛してあげて
君の中に神様はある
君に出会うのを待っている
その人はいつも君をみていた
君を君だけをみつめていた
そして君をただ愛していた
君を君のまま愛していた
その人は愛 愛こそが君
踊れ光り 愛こそが君
おそれないで悲しまないで
忘れないで愛こそが君
君がここにいるから
夢は動きはじめる
君が君でいるから
愛が今おりてくる
愛は命 愛はよろこび
永遠の唄 ふつうの唄
愛は命 愛はよろこび
永遠は今
All rights reserved
(C) Yamane Mai
大好きな絵本「くまとやまねこ」が落ちてきました。
私のデスクのうしろは書棚で、何かに触れたようです。
手にとって読んでしまって
号泣。
これまで何度も読んだのに。
だって、ぼくたちは ずっとずっといっしょなんだ――突然、最愛の友だち・ことりをなくしてしまった、くま。かなしみのあまり、くまは、くらくしめきった部屋に閉じこもる。
これが帯の説明文なのですけどね。
くまが閉じこもることになった訳は悲しみではなく
森の動物たちが口々に
「くまくん、ことりはもうかえってこないんだ。つらいだろうけど、わすれなくちゃ」
と言ったから。
そしてやまねこに出会うんです。
やまねこは森の動物たちとはまったく違う態度で
くまくんに接します。
(書いてしまうとこれから読む人の楽しみがなくなると思うので
ごめんなさい)
これまでどれだけ自分は誰かに、森の動物たちのような対応を
してしまったろうと思い起こします。
読むたび「やまねこのようであろう」と決めるのですが
どうやらすぐに忘れてしまいます。
読むたびに『あ・・・』と思いますから。
今日はこの「やまねこのように」の想いの前に
浮かんだことがあります。
それは3.11の津波で大切な人を亡くした方々のことでした。
きっと膨大な人数に上ることでしょう。
東京にいるわたしはつい
危機にある原発のことばかりに注目していて
津波の被害のことを忘れがちでごめんなさい。
でも、くまくんのように悲しみを胸に抱えたまんま
生きている人が未だどれだけいるのでしょう。
せめてその方たちに
「早く元気出して」とか「忘れようよ」なんてことを言わず
「やまねこ」のように寄りそえる努力したいと思います。
そのためには日ごろから周りの人たちに
「やまねこ」であれますように。
そしてわたしもひとりのアーティストして
この絵本のような素晴らしい作品を創り
たくさんの「やまねこ」を生み出してゆこうと思います。
我が家のやまねこ・・いや家ねこ?を
可愛がりつつ。
悲しみは日本人全体で共有して
ゆっくりと癒していけますように。
最近のコメント