むかし本で読んだ。
チョプラ博士のなにかの本。
「理由のある幸せの向こうには、不幸せが待っている。
幸せに理由はいらない」と。
うーんクール
それってすごいね、かっこいいね。
って思った覚えがあります。
そしてどうなればそうなれるんだろう?と。
あれから月日は過ぎ
気づいたらいまも
タンスから下着を引っ張り出しながら
「しあわせだなあ~」
とつぶやいていました。
(すいません風呂上りです)
しあわせ、というよりも
満たされているといった感覚でしょうか?
(ビールをくびっとしているわけじゃないですよ。まだ)
現在の思考で考える状況は
良くないです。
愛しのテオちゃんは
緊急手術中。
今夜迎えにゆきます。
今日発行のメルマガの原稿は
まとまりを見せず保留中。
23日のイベントに読む詩が
決まっていない。
パートナーとはすれ違い
険悪な雰囲気の数日。
・・・そのほかもっとたくさん
大変だと考えられることは山積みです。
以前のわたしなら
落ち込むのに充分な過ぎるほど。
テオちゃんのことだけでも
おろおろしまくり、だったでしょうに。
でもなにかが満ちている。
満たされている。
またしばらくすると
思考のぐるぐるに落っこちたり
感情に流されたりすることもありますが
(感じなくするのと違いますよ)
だんだんとこの感覚でいられる時間が
増えてきました。
チョプラ博士~
あなたの言っている意味が
やっとわかってきましたよ。
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